チャーチル
性能情報
全長 | 7.44 m |
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全幅 | 2.74 m |
全高 | 3.25 m |
重量 | 39.57 t |
懸架方式 | コイルスプリング式 |
速度 | 20 km/h(整地) 13 km/h(不整地) |
行動距離 | 144.8 km(路上) |
主砲 | QF 2ポンド砲 (Mk.I、II)×1 QF 3インチ榴弾砲 (Mk.I、II CS)×1 QF 6ポンド砲 (Mk.III、IV)×1 QF 75mm砲(Mk.VI、VII)×1 QF 95mm榴弾砲(Mk.V、VIII)×1 |
副武装 | 2インチ擲弾投射器 7.92 mm ベサ機関銃x2 |
装甲 | 16〜102 mm |
エンジン | ベドフォード ツイン・シックス ガソリンエンジン 350 hp |
乗員 | 5 名 (車長、砲手、装填手兼無線手、 操縦手、副操縦手兼機銃手 |
運用事績
チャーチル歩兵戦車の初陣は、1942年8月のディエップ上陸作戦 (ジュビリー作戦)であった。第14陸軍直轄戦車大隊(カルガリー連隊)の37輌が三波にわたり投入(第四波は未投入)されたが、多くが水没または海岸で撃破または擱坐、上陸して戦闘に参加できたのはうち17輌だけであった。そして損害の大きさから作戦は中止され6輌のみが海岸に撤退できたものの、脱出し本国に生還できた戦車兵はわずか1名であった。しかし、敵砲火によって撃破されたものはわずか2輌に過ぎず、防御力の高さだけは立証された。
以後、北アフリカ戦線やイタリア戦線などにおいて主に歩兵支援に投入され、地味だが重要な存在となった。また、上記のようにソ連への援助車輌としても活躍した。
ノルマンディー上陸作戦では、ジュビリー作戦での失敗の反省から、第79機甲師団(英語版)がチャーチルをベースにした各種の特殊工作車輌(通称ホバーツ・ファニーズ)を多数装備し、分散配備され活躍した。後に正式採用されたチャーチルAVREは、その重装甲と悪路走破性が重用され、歩兵戦車型が退役した後も長く用いられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/チャーチル歩兵戦車
マチルダⅡ
性能情報
全長 | 5.61m[1] |
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全幅 | 2.59m |
全高 | 2.52m |
重量 | 27.0t[2] |
懸架方式 | 横置きコイルスプリング式[2] |
速度 | 24.1km/h[3] |
行動距離 | 257km[4] |
主砲 | 52口径2ポンド戦車砲×1[5] (弾薬搭載量 93発) |
副武装 | 7.92mm ベサ機関銃×1[5] (弾薬搭載量 2,925発) |
装甲 | 砲塔全周 75mm上面 20mm車体前面上部 75mm傾斜部 47mm下部 78-45mm側面上部 70mm側面下部 45mmサイドスカート 25mm上・底面前部 20mm底面後部 13mm |
エンジン | 液冷V型6気筒ディーゼル×2 174hp(87hp+87hp) |
乗員 | 4名 |
運用事績
本格運用は1940年のドイツのフランス侵攻戦(西方電撃戦)におけるアラスの戦いからである。その厚い装甲は、ドイツIII号戦車や短砲身型IV号戦車、チェコ製35(t)戦車および38(t)戦車の主砲や対戦車砲の徹甲弾に有効であった。
北アフリカで戦争が始まると、アメリカからの供与戦車と共にイギリス機甲部隊の主力として1941年のバトルアクス作戦やクルセーダー作戦などで活躍した。北アフリカに送られた車両は、車両輪郭や進行方向を誤認させるためダズル迷彩の様な直線で構成された独特な迷彩が採用された。本車の装甲はここでも有効で、その姿から「戦場の女王」(周りにいる歩兵を蟻、マチルダを女王蟻に見立てての表現)と称された。しかし、バトルアクス作戦中初期のハルファヤ峠をめぐる戦いでは、同地に展開していた88mm高射砲の水平射撃により十数両が撃破された。これは、陽炎のために高射砲が発見しづらかったのと、砲兵のような軟目標に効果的な榴弾を撃てず、同軸機銃による射撃も効果的でなかったからである。この致命的な欠陥について、ドイツ軍のロンメル元帥は、「Mk.IIは「歩兵戦車」と呼ばれているのに、敵歩兵に撃つべき榴弾が用意されていないのは何故だろうか。実に興味深いものだ」「この戦車はとてつもなく遅く、物資集積所に真っ直ぐ突っ込んで大穴をあけることくらいにしか役に立たないだろう」との回想している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マチルダII歩兵戦車
クルセイダー
性能情報
全長 | 5.98m |
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全幅 | 2.64m |
全高 | 2.24m |
重量 | 20t |
懸架方式 | 縦置きコイルスプリング |
速度 | 43km/h |
行動距離 | 161km |
主砲 | 2ポンド砲 ×1(Mk.Ⅰ)6ポンド砲 ×1(Mk.Ⅲ) |
副武装 | 7.92mm ベサ機関銃(同軸機関銃) |
装甲 | 50mm |
エンジン | ナッフィールド・リバティ 340hp/1,500rpm |
乗員 | 3名(車長兼装填手・砲手兼無線手・操縦士) |
運用事績
エンジンの寿命も短いなど走行系の問題は多かったが、砂地での走破能力はボギー式サスペンションのアメリカ製戦車より優れていた。良好な速度性能があるが、後退速度が、5㎞と遅い。実戦投入された北アフリカ戦線の戦車戦では、ライバルであるIII号戦車(5cm/L42搭載型)と対戦した場合、クルセーダー Mk.I(2ポンド砲搭載型)では500ヤード(457m)まで接近して射撃する必要があるのに対し、III号戦車は1,000ヤード(914m)の距離からクルセーダーを撃破できると報告されている。また、被弾によって搭載弾薬の装薬が誘爆・炎上しやすい欠点もあった。にもかかわらず当時の巡航戦車では唯一物になる戦力だったため、装甲や主砲に改良を加えながら、北アフリカ最後の戦いであるチュニジア戦まで戦い続けた。そして、後継のMk.VIII クロムウェルやアメリカ製のM4中戦車に更新され、北アフリカで生き残った状態のいいクルセーダーの多くは、フランス植民地軍に供与された。
乗員が最大速度を60km/hに向上させるため、勝手に速度制限用の調速機を解除したことでますます故障発生率は高まり、「連続36時間重大な故障が発生せず稼働すればそれは奇跡」と乗員に評される程であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クルセーダー巡航戦車