ガールズ&パンツァーの戦車リアル性能と運用事績、2023最新情報ーBC自由学園

ルノーFT

性能情報

全長5.00 m
全幅1.74 m
全高2.14 m
重量6.5 t
懸架方式垂直スプリング+リーフスプリングボギー形式
後輪駆動
速度7.6 km/h
行動距離65 km
主砲ピュトー SA18 21口径 37 mm 戦車砲
(戦車砲型)
または
オチキス M1914 8 mm 重機関銃
(機関銃型)
装甲最大16 mm 又は 22 mm
エンジンルノー 液冷直列4気筒ガソリン、排気量 4,480 cc
39 馬力
乗員2 名(車長、操縦手)

運用事績

FT-17は、第一次世界大戦中の1918年5月31日のレッツの森での戦闘を初陣に、戦場で広く使われるようになった。

大戦後、多くの国に輸出され、各国で最初の戦車として、機甲部隊を構成することになった。その後の紛争、ロシア革命ロシア内戦ポーランド・ソビエト戦争第三次アフガン戦争国共内戦満州事変スペイン内戦などでも使用された。第二次世界大戦でも、ポーランド侵攻時のポーランド軍や、フランス侵攻時のフランス軍ユーゴスラビア侵攻時のユーゴスラビア王国軍冬戦争時のフィンランド軍などでも使われていた。フランス軍では2,000輌近くが警備部隊などに配備されていたが、その時にはすでに旧式化していた。

フランスでドイツ軍に捕獲されたもののうち一部は後方部隊に配備されたり、装甲列車に連結された無蓋車に搭載され対独パルチザン対策にあたった。また一部は砲塔を外され砲牽引用の砲兵トラクターとなった。不要になった砲塔は要塞などの資材に転用され、トーチカとして据え付けられた。1944年のパリ解放直前までパリ駐屯ドイツ軍によって市内警備任務に使用されていた。

フィンランドでは34輌を保有していて冬戦争では固定トーチカとして使われていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルノーFT-17軽戦車

S35

性能情報

全長5.38 m
全幅2.12 m
全高2.62 m
重量19.5 t
懸架方式リーフスプリング、ボギー式
速度40.7 km/h整地
32.2 km/h(不整地
行動距離230 km(路上)
130 km(不整地)
主砲47 mm 戦車砲SA35
副武装7.5 mm 機関銃M31
装甲47 mm(最大)
エンジンソミュア V-8 ガソリン
190 馬力
乗員3 名

運用事績

S35の先行量産型にあたる4輌のAC4は、1936年1月に第4胸甲騎兵連隊(4e Cuirassiers)に配備された。1938年半ばには100輌が生産されており、1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻開始時には270輌が生産済みで、うち246輌が供給済みであった。同日付で191輌が部隊で就役しており、51輌は集積所に、4輌はオーバーホールのために工場に返送されていた。開戦後、4度目の発注として200輌が追加され、総発注数は700輌となった。後に、451号車以降は改良型のS40とすることが決定された。実際には、1940年6月までの生産量は試作車、先行量産型を含めて430輌であった。

1940年5月のドイツによるフランス侵攻の開始時、約300輌が一線部隊、騎兵科の3個軽機械化師団(Divisions Légères Mécaniques=DLM)に配備されていた。各師団には各10輌のS35を持つ8個中隊(squadron)があり、さらに予備車両、旅団・連隊長車が配備されていた。また開戦後に、備蓄車両がいくつかの臨時編成の部隊に引き渡された。シャルル・ド・ゴール指揮下の第4機甲師団(4ème DCR)には39輌、第4軽機械化師団(4ème DLM)に10輌などである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ソミュア_S35

ARL44

性能情報

全長10.53 m
全幅3.40 m
全高3.20 m
重量50 t
懸架方式縦置きコイルスプリング方式
速度35.75 km/h
行動距離350 km
主砲90 mm DCA45
副武装2 × 7.5 mm MAC31 機関銃
装甲120 mm
エンジンマイバッハ HL 230 水冷ガソリン
575 馬力
乗員5 名

運用事績

ARL 44を装備したのはムルムロン=ル=グランに駐留する第503戦車連隊で、1950年に17輌のパンターから代替し運用した。運用開始した当初、ARL 44は信頼性に乏しく、ブレーキやギアボックス、サスペンションがあまりに脆弱だった。特別な改善プログラムにより大部分は改善されたが、公的な場に現れたのはただ一度だけで、10輌のARL 44が1951年7月14日のフランス革命記念祭へのパレードに参加したのが最初で最後になった。

アメリカにて同じく90 mm 砲を装備するM47パットンが開発され、これはフランスにも供与されることが決定し、総合性能で遥かに劣るARL44は1953年を目標に段階的に退役することになってしまった。退役した車両は少数が展示用として再利用された他は、射撃標的として用いられた。

なお、フランス軍から退いた車両はアルゼンチンに輸出されたともいわれるが、確たる根拠はない[8]

https://ja.wikipedia.org/wiki/ARL-44

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